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先日のパン教室で、生徒様とおしゃべりをしていて感じたのはタイトル通り

道を極める方法は一つではない、ということ。

料理のお仕事をされている生徒様は特にどこかで学んだということではなく、厳しい現場に身を置いて自らを鍛え上げていく、という実にある意味ストイックな方法で実力をつけてこられたそうです。

素晴らしい!!!

私のようにコルドンブルーを卒業して・・・というやり方ばかりが道を極める方法にあらず、と知りました。

正統派的(甘ちゃん的に?)に学びの道を歩いてきた私でさえ、キリキリ舞をするようなシュチエーションが何度も有りましたことを考えると・・・

このことはおっしゃらなかったですが、きっと陰で涙するようなことも有ったに違いありません。

私は、皆さまから頂戴するレッスン料をある意味ストイックに自己投資し

そうして得た技術をまた皆さまに還元しているというスタンスをこの17年間貫いてきました。

その姿勢でここまで昇ってきました。

多分、みもざていレッスンに長くお越しくださっている生徒様がその様子をつぶさにご覧くださっていると思います。

松下幸之助氏の「道」という詩をご存知の方も多くいらっしゃると思いますが、

ご紹介しておきますね。

私は迷うと、この詩をいつも見返しています。

本当はこれを社会人になった二人の息子に教えてあげたいんだけど・・・うるさい母親、と思われそうで伝えてないのです笑

「道」 松下幸之助
自分には自分に与えられた道がある。
天与の尊い道がある。
どんな道かは知らないが、ほかの人には歩めない。
自分だけしか歩めない、二度と歩めぬかけがいのないこの道。
広い時もある。せまい時もある。のぼりもあればくだりもある。
坦々とした時もあれば、かきわけかきわけ汗する時もある。
この道が果たしてよいのか悪いのか、思案にあまる時もあろう。
なぐさめを求めたくなる時もあろう。
しかし、所詮はこの道しかないのではないか。
あきらめろと言うのではない。
いま立っているこの道、いま歩んでいるこの道、ともかくもこの道を休まず歩むことである。
自分だけしか歩めない大事な道ではないか。
自分だけに与えられているかけがいのないこの道ではないか。
他人の道に心をうばわれ、思案にくれて立ちすくんでいても、道はすこしもひらけない。
道をひらくためには、まず歩まねばならぬ。
心を定め、懸命に歩まねばならぬ。
それがたとえ遠い道のように思えても、休まず歩む姿からは必ず新たな 道がひらけてくる。
深い喜びも生まれてくる。